doziokan’s blog

息子に「マジメすぎてウザい」と言われるオカンちゃんです。波乱万丈すぎた過去のことと、今の思い、大好きな韓流ドラマのことも書きます。

最愛の鳥の命日を前にブログ開設

今日は、J君の命日だ。

 

2年前の今日、息子が起きるのを待ち、

苦しみながらも息をしていたJ君は、

小屋にかけていた布を開けると、「ピー!」と大声をあげた。

 

いつもなら朝が来るまで寝ない息子が、

ほんの少しだけ仮眠をとり、

念のためにかけた目覚ましが鳴る前に起床。

 

私も別の部屋でウトウトとはしていたものの、

ほとんど寝付けないままに朝を迎え、愛らしい声で目が覚めた。

 

鳥の死が呆気ないことは、3羽の死を経験して理解している。

 

とはいっても、あのイジメの時、

心の支えになってくれた、鳥を好きになるきっかけもくれたJ君。

 

彼との出会いが無かったら、他の子との出会いもなかったから、

そうじゃなくても、いつだって「もういいよ」とは言えないから、

どうか夢であってほしいと、心の底から復活を望んだ。。。

 

 

そんな、愛しい子とのお別れを、まだ乗り越えられてない息子は、

他のことでは泣いたりしないのに、今でも鳥を夢を見ると泣き、

日々の中でも、いろんな鳥たちのことをよく話す。

 

いろんな思いから、今日を迎える前に始めたんだろうブログ。

なんとなくそんな空気を察しながら、

夕飯後に一緒に過ごしていたら、「ブログ書いてる」と鳥に一言。

 

(やっぱりね)と、ちょっと笑いながら黙っていたら、

数十分後、「できた!」と、清々しい顔の息子。

 

なんと、パソコンのモニターをこちらに向け、

「読んでもいいの?」というと、「なんで?」と、

意外そうな顔で、「わからん内容だと思うけど」とニコリ。

 

当然、内容は理解不能だったものの、

妄想を形にするという一歩目は、確実に踏み出せたので、

いろんな設定を自分色に変えながら、記事数を増やす努力をしてほしい。

 

そんな行動からも、J君への思いを感じ取ることができて、

昔も今も、息子を支え、揺り動かしているJ君は、

私のプレゼントだったことに、母としての直感と深い意味を感じる。

 

あの頃、どことなく淋しげだった息子に、

誕生日でもないのにヒナを買おうと思ったのは私だから、

イジメのことには気づけなくても、救いをあげられたんだと。

 

そして、(もう大丈夫)と思えたから、

J君も安心して彼のもとを去ることができたんだろうと。

 

もし、開業や廃業の真っただ中だったら、

あんな風に静かに別れることはできなかった。

 

お金の目途が立ち、あとは家を出るだけとなった、

あの時だったからこそ、静かに静かに死を受け止められた。

 

もちろん、息子も私も、悲しくて淋しくて、

息子は喪失感に苛まれ、未だにまだ傷も癒えずにいるけど、

彼が生まれ変わり、また一緒に暮らせることを信じ、

そんな思いからも、ブログを始める決心をしたんだろう。

 

命日の今日は、「ゆで卵と卵(J君の好物)」とのリクエストがあり、

夕飯は冷麺(亡くなった夜に号泣したメニュー)を作ることになった。

 

いつか、彼のこともブログに書けるといいね。

息子に批判され続ける悲しみ

日々の息子の言葉に、母親としてのプライドはズタズタだ。

 

ここまで、過去の歴史や行動を批判され、

否定されると、存在意義が見つからず、

消えてなくなりたいと、つい思ってしまうこともある。

 

彼の思い描いている仕事は、

まるで実現可能のように聞こえるけど、

決して私の理想ではなく、その先に見えるものも、

私の好みや希望とはかけ離れたものだ。

 

ただ、ここまで生活を落とすと、

お金のありがたみを痛いほど知っているから、

不自由なく暮らせればうれしいし、ありがたい。

まして、老いや病と向き合うであろう年令を迎える直前、

少しでも幸せな時間を過ごせるなら、

これまでの全てが、その日のためだったのかとも思える。

 

息子はすっかり忘れているが、

これまでのどんな日も、家族や息子のために走ったのは私。

 

元旦那は、最終的にはお金を稼ぎ出世したけど、

同居した当初は病弱でやる気もない、ただのお坊ちゃまだった。

 

いつしか裏切り者になり、家を出る時も、

お店を契約したのも、改装にまつわるすべてを決めたのも、

金策に走ったのも、大家さんや不動産屋さんとの交渉も、

当時はまだ旦那だった人との話し合いも、

引越屋さんを決めたのも、離婚のために戦ったのも、

議員さんや弁護士さんや役所の方々に懇願したのも、

やっとのことで家を見つけられてここに来れたのも、

すべてすべて、パニック障害を抱える私がしたこと。。。

 

今になって、何かを言えば「やる気がない」とけなされ、

年令や体力や状況や心情は無視され、

挙句の果てには、「協力しないのに大金は渡せない」と、

数日前までの発言から、ガラッと態度を変えてしまえる。

 

キチンと調べたかもしれないけど、

まだ妄想、想像の段階でしかないのに、

ほんの1ミリも進めていないことは棚に上げて、親だけは非難される。

 

やる気がないのは、私ではなく誰なのか、誰だったのか。

 

この先、彼が言うような成功を手に入れたとしても、

中学時代のイジメも含め、歴史を変えることはできないし、

親をけなすことは自分をけなすこと。

この程度の親の元に生まれる時分だったということ。

 

それが面白くないなら、今後はそうならないように、

自分の行く道や、親とのことを考えて決めたらいい。

 

「お金に不自由したことがない」と、

親が与えたものでぬくぬくと生きてきた息子。

 

でもそれは、親が必死でそうしたからで、

その歴史は、今後の余命より、ずっとずっと長いはずなのに、

それはないことになって、「何をしてくれる?」みたいな言い方。

 

目標は家賃20万(実際に見つかったのは15万円)と聞き、

見つけたマンションの間取りを見て、妄想を楽しんでいたけど、

そんな密かな楽しみも、息子の気まぐれな発言で打ち砕かれる。

 

真剣に決めたはずの設計も、病気による妄想や、

ただの現実逃避や自身の過大評価だとしたら、

親の責任として怒ってばかりもいられず、

気持ちはあっちへこっちへと揺れ動くばかり。。。

 

昔のイジメの傷もあるとはわかってはいるものの、

その後、勉強へと気持ちが向かなかったのも、

過酷な労働はするものの、将来を考えなかったのも、結局は自分自身。

 

今は全ての歴史を親のせいにして、

親を卑下することで優位に立ってるかもしれないけど、

頑張っても成功するとは限らないし、一人でできることには限界がある。

 

互いができることをして、補いながら成長できるように、

若くて体力や能力があるなら、それを生かすのは未来の自分のため。

 

足りないところを私が補ったり手助けすることで、

もっと潤滑に回るなら、お金を稼げなくても使い道はあるはず。

 

人がしてること、自分がして来てないことにも目を向け、

他を敬う気持ちが無かったら、結婚もできないし、

たとえ成功できても、人を雇うってこともできない。

 

今が最低で、自由にお金も使えなくて、

溜ったイライラを私のせいにしてるんだろうけど、

今の結果を招いた一因は自分にもあり、元旦那との関係も然り。

 

息子になり、父と思うこともできなかったのは自分自身で、

慕うことや接触を避けたのも、自分がしてきたこと。

 

今が不幸だと思うなら、今後の幸せのために動けばいい。

 

もう休んでるヒマはないから、一刻も早く動き出して結果を見るべき。

 

少しなりとも結果が出れば、その怒りに満ちた考えも変わるだろうし、

これまでの母子関係だって、決して悪くはなかったはず。

ずっとずっと離れずにいたことが、それを物語っているから、

どうか自暴自棄にならず、人のせいにせず、夢を叶える努力をしてほしい。

縁が切れない元旦那への恐怖

私は、引越を機に縁を切りたかったが、

元旦那は引越当日にやって来て、当然のように家に入ろうとした。

 

2年もの間、冷酷な姿を見せつけておいて、

引っ越したとたん、優しさを押し売りされても、

身も心も他人になっただけでなく、誰彼なく家に入れない性格。

 

あの日以降、たまたま出会えば買い物はするものの、

メール以外で会話をすることも、家に入れることもしていない。

 

息子は、軽蔑はするものの、

自分に余裕ができて、彼が病気にでもなり助けを求めたら、

それを無視することはできないと力説する。

 

私としては、中途半端な情は、傷つけることにもなりかねないと、

思ってはいるものの、起こる前に止めるほどの問題とも思えず。

 

私たちの生活が改善した時に、改めて考え、

しっかりと気持つを一つにしようと、今は思っている。

 

もし、内緒で引越したら、興信所に頼んででも見つける。

その方がよっぽど怖いから、引越先を教えるつもりの息子。

 

私としたら、こちらの生活が向上したら、

それはそれでよくない感情が出て、イヤな話になるとも思えて、

だからといって、もらうべきものももらってないのに、

借金を返す大変さばかりを嘆かれたら。。。

 

人間的にまともじゃない部分も多いだけに、不安に思えて、

できるなら、いろんな意味で無関係になりたい。

 

私たちへの償いも、懺悔の思いもいらないから、

つながりを持ち続けようとしたり、甘い期待も持たないでほしい。

 

息子の仕事が成功したら、そんな夢のような状況になったら、

人手が欲しいのは山々だけど、役に立つのはわかっていても、

肝心な面での信頼関係を、どうしても築けない。

 

フットワークが軽く、私たちにない長所もあるものの、

ズルズルと頼るのは、彼のためにだってよくない。

 

ふとした言葉で表情が激変し、ほんの一瞬の形相に心が凍り付く。

 

そんな一瞬一瞬を何年も繰り返した果てに、やっと手に入れた他人という関係。

 

今後は、もっと他人になり、

良くも悪くも、彼を意識しないで日々を楽しみたい。

 

順調に始まれば、私自身にもやるべきことがたくさんある。

 

成功したら成功したで、次なる目標が定まり、意欲だって湧いてくる。

 

そうなろうとしてる息子と共に、本来の私を生きることが、

残り短いであろう人生の締めくくり。

 

どんなに長生きしても、これまでの人生分は生きられないから、

老後とも言える日々を、もっと快適に、不安なく、淀みなく生きたい。

 

いろんな方にお世話になった文、社会に貢献したり、

恩返しや、寄付なども考えているので、どうか夢を叶える力が欲しい。

 

状況に恵まれず発揮できなかった底力を、今こそ出せますように。

 

息子には、いろんな思いをかなぐり捨てて頑張ってほしい。

至らない母だけど、いつだって、どこでだって、あなたを信じ助ける。

 

あの時の傷を消せるように、これからがホントの意味での正念場。

生活レベルを落とす苦痛

息子を頼らず豊かな老後を送るために、

カードを整理し、借金を完済し、旦那を支えた日々。

 

満額の年金と、旦那の恩恵で得る私の年金も併せて、

マンションのローンを払うことも、苦も無くできる、はずだった。

 

そこに至るまでの苦労があったから、その日を楽しみにしていたし、

息子が独立しても、家にお嫁さんを迎えることになっても、

何とかやっていけるだろうという、安心感だけはあった。

 

それが、まさかの、長年にわたる裏切りを知ることとなり、

怖ろしいスピードへ奈落の底に突き落とされることになるとは。

 

平凡を生きるだけしか知らない私には、想像だにできないことで、

私だけでなく、周りの誰一人として、彼を疑う人間もなく、

会社でさえ、その異様な人格に気づくこともなく、最高管理職に君臨した。

 

ただお金のためだけを思うなら、あの生活を捨てるのはバカだ。

 

ある面では、私はきっとバカなんだろう。

 

少しくらいは後悔したこともあるし、瞬間なら戻りたいとも思った。

 

それは、彼の元でも、胸でもなく、たかが生活なんだけど、

あまりにも生きていくのがしんどくて、時には心で泣き叫んだ。

 

でも、彼を恋しがったり、その胸に抱かれたいと思うことは、

一度たりとも、ほんの一瞬でさえも、なかった。それも悲しかった。

 

そんな男と一緒に生きてきたんだと思うと、自分がかわいそうにもなった。

 

様々な理由からやっとのことで借りられたマンションは、

約半分の狭さになり、賃貸でもあり、不便や不具合もかなり多い。

大家さんはいい人で、その優しさには救われるものの、

お風呂の排水は一度にできず、トイレも2~3回でやっと流れる。

物音や人の声はダダ洩れだし、新しい入居者のガラが悪くて恐怖を感じる。

 

時には爆音でテレビやゲームを楽しみたい息子は、

小鳥の声や話し声さえ遠慮して、それがストレスになっていたり。

 

この経験が、悔しさが、次へのステップにつながるなら、

夫婦喧嘩も別れも、廃業という苦い経験も、ムダにはならないし、

成功を掴んだ時には、苦労時代の話だって誇らしい思いで人に伝えられる。

 

堕ちてるとか、辛いとか、不便とか、

できる限り思わないようにしてたけど、引越の話をして以来、

夢が膨らむ一方、いろんなことが気になり始めて、

息子を急かすわけにはいかないけど、急いでほしいなと心では懇願。

 

息子と違って、年令も年令だし、引越は大変。

残りの時間を思うと、少しでも早く幸せになり、安心したい。

 

以前にはあったベッドだってほしいし、

もっと吸い込みがいい掃除機だってほしいし、

洗濯機は家の中がいいし、干す場所だってもっと欲しい。

お風呂の排水は一度ですませたいし、

トイレだって、一度でゴーッて流れてほしい。

 

快適な家で、部屋で、心豊かに老後を送りたい。

 

そんな暮らしの中でなら、

かつての目標だったホームページを作り、

アルバムを整理し、健康的に生きる努力もできる。

 

 

ここまで落ちたことで、息子にも夢が見極められてように、

もし豊かな暮らしができるなら、何がどう変化するのか。

 

想像だにしなかった世界を、息子とふたりで見てみたい。

お金があったら叶えられること

息子の夢を聞いてからというもの、

次の引越への思いが溢れ、それが私の夢となった。

 

息子には「何のためのケンカだったのか」

と、約1週間をムダかのように言われてしまったけど、

これまでの言動の真意を知るために、意味があったこと。

 

時間を経て、そんな風にとらえられるようになった。

 

はたから見たら、

立派なマンションに住んでる恵まれた人に見えても、

実際には100%以上のローンを組み、支払いのために借金もした我が家。

 

元旦那は、給料が半減するのもかまわず、

勤務中に数時間も仮眠をとり、早朝の仕事に備える。

それが1年半以上続き、借金の完済は8年半以上も過ぎてから。

 

お金のことだけを考えても、借金地獄そのものだった。

 

そんな旦那に対して、愛情を感じ信頼を寄せられるはずもなく、

両親の闘病や、更年期や、息子の引きこもりも重なり、

こうして生きていられることが不思議なくらい、心は荒んでいた。

 

そして、2013年には、2度目の離婚を決心するわけだけど、

そんなこんなだったから、お金に恵まれたのは、

借金を完済できた2009年の冬以降のこと。

 

あくる年の母の死によって、

遺してくれたもののおかげでぜいたくを経験し、

その短い期間だけは、家族や自分が欲しいものを自由に買えた。

 

空虚を埋めるように、物を買い漁った年月。

 

心が幸せを感じるのはほんの一瞬で、

あっという間に訪れるのが、浪費に走ってしまう自分への自己嫌悪。

 

あの時期、お金はあったけど、決して幸せではなかった。

 

その後、夫婦関係が破たんし、開業のために家を出て、

約2年間は、お金が底をついたらという不安との戦いだった。

 

失敗して家に戻ってからは、お金がないだけではなく、

サイコパスな旦那のご機嫌を伺う、別の地獄が待っていた。

 

 

そんな地獄を2年耐え、やっとここにたどり着いて、

少しずつ落ち着きを取り戻した息子が出した答えが、お金を稼ぐこと。

 

私が思い描く平凡ではなく、それを越えたお金を持つ夢も、

2013年からの5年を、共に生きてきたからなんだろう。

 

よくよく考えてみたら、何を買うにも予算っていうものがあって、

欲しいものを欲しいだけ買えたわけではなかった。

 

今に感謝し、今に満足するようにコントロールしてただけで、

家電にしても、家具にしても、買えるもの、入るものに絞ってきた。

 

その枠を取っ払い、マンションや必需品を考えたら、

ガマンしてるもの、妥協してることの、多いこと、多いこと。。。

 

ベッドも欲しい。

食洗器も欲しい。

掃除機も変えたい。

冷蔵庫を大きくしたい。

 

などなどなど。

 

この家のスペースや生活レベルに合わせ、

当たり前のように、小さく、安くを心がけていたから、

もしそんな暮らしができるなら、人生の終盤、なんて幸せだろうって。

 

もちろん、お金が全てではないとわかった上で、

便利で快適に暮らせる喜びを味わいたい、そんな思いが膨らんできた。

 

想像するだけで終わるなら、それはただの妄想。

 

起業に失敗した経験を活かし、ノウハウは生かし、

どん底を知ったからこそ、平凡以上になりたいと望む。

 

トラウマは力に変えられるってことなのかな。

ストレスが記憶に与える影響

「小さい頃は可愛がられた」などと、

大きな勘違いをしてる息子は、被害者みたいな思いも抱えている。

 

幼い頃、言うことを聞かないと「お灸をすえるよ」と、

足の親指には近づけていたけど、実際にはあてていないのに、

「くるぶしにあてた」とムキになったり、

 

どんなに怒っても、鳥をはたいたことなんて一度もないのに、

「はたいたところを見た!」と言い張ってみたり。

 

角度によってはそう見えたとしても、

感情的にそうしないことはわかりそうなのに、

いつからか鬼婆くらいに思っていたのか。

 

それはきっと、イジメに気づかなかった罪なんだろうけど、

それにしても、私の性格を知らな過ぎて悲しくなる。

 

生まれた時から今日に至るまで、

自分がどんな状況に置かれていようとも、

息子の存在がいちばん大切で、大事に大事に育ててきた。

 

病気をすれば、自分も病気になってしまうくらい、

辛くて、苦しくて、どうしようもなく弱い母だった。

 

夫や旦那に恵まれず、結婚生活が破たんしても、

息子との暮らしのために、働き、養い、無い時はお金の工面もした。

 

日々の買い出しや、お金にまつわるすべての雑用も、

当然のように私がしてきたし、それを不満にも思わなかった。

 

ただ、さすがに、大きくなってもやる気がない息子には、

私が死んでからの一人暮らしのために、

どうしても口酸っぱくなり、疎ましがられることもたびたびあり。

 

そのたびに、悲しいような、怒りに満ちたような、

なんとも複雑な顔で、無視や、反発を食らった。

 

それもこれも、親のせいで家を転々とし、

企業に失敗し、食べることにさえ不安に感じたことが、

イコール死であると思い悩んだことが、

温かな記憶さえも、無かったことにしまったんだろう。

 

アルバムには、確かに、母子の笑顔があるというのに、

ストレスが与える影響って、こんなにも酷いんだと痛感する。

 

私も、ストレスによってパニック障害を発症したけど、

不眠症や様々な症状も、心と向き合うことで改善してきた。

 

思ったよりも、心は弱く、強く、

自分をわかろうと向き合えば、必ず糸口は見つかる。

 

何度も、納得と改善を繰り返し、

時には、少し無理をして挑戦もし、

できなかったことができるようになることで、自信もつけてきた。

 

息子にとってそれは、お金を稼ぐってことなんだろう。

 

私の場合は、旦那と離れて、息子とふたりになることだったけど、

息子の場合は男だから、揺るぎない自信が必要不可欠。

 

自信を取り戻すことで、すり替わった記憶が元に戻るように、

私も、日々を、言葉を大切にし、協力できるところはして、

残り僅かであろうこれからを、今よりもっと楽しみたい。

 

そのためには、稼ぐってことは最も大切だから、

息子の夢が叶うように、適切な言葉をかけていきたい。

 

イジメの時、思ったよりも強かったことも、しっかりほめてやりたい。

息子の願いを叶えるためにできること

昨日も、息子とたくさん会話をした。

 

途中、ちょっとキレるみたいな感じもあったけど、

それは口うるささを鬱陶しがってるとわかってるから、

母として、言うべきことはちゃんと言うという、

私の立場を理解してほしいと伝えた。

 

どんなにお金持ちになり、成功者になったとしても、

苦労した日々を忘れてしまうことは悲しいし、

平凡とも言える人生を、マジメに生きている人を見下してはいけない。

 

自分ができなかったことができる尊敬すべき人で、

働く人の大半はサラリーマンで、成功者はほんの一握り。

 

たとえ成功者になれても、

自分が生まれて育った環境を、忘れてはいけないと。

 

何不自由なく育ったと思っていたとしても、

それは、どんな時も、親が必死でそうしてきたから。

 

そんな辛かった日々でさえ、愛しい思い出。

そうなるように、挫折があったからこそ、拓けた道。

そう思えるように、全ての歴史を、ないがしろにはしないでほしい。

 

親も人間で、未熟で、

その精一杯が子には足りなかったとしても、

精一杯だったという思いだけは、ちゃんと受け止めてほしい。

 

いろんな思いを切々と伝え、

息子は息子で、構想を訴え、

次回の引越までは見守ることも伝え、長い長い話し合いは終わった。

 

息子が得意なこと、しつこいくらい説明好きで饒舌なこと、

それが仕事となり、生活できる状態にまで持って行けるなら、

挫折して失った自信や、何もないコンプレックスからは解放される。

 

コンプレックスだって、実際には、自分しだいでどうにでもなって、

いろんな意味で、じゅうぶん過ぎるほど能力はある。

 

社会人の1年生として、年下に仕えるのは苦痛でも、

自営業なら、成功を掴みとる可能性がある。

 

成功を掴み取れたら、財力を使って、次のステップにだって進める。

 

考えたら、やりたいことは山ほどあり、

自分には、それを叶える能力だってあった。

 

自分を生かしきれなかったのは自分で、今ならまだやり直せる。

 

あのどん底から、ここまで考えを転換できたのは、

息子には底力があり、生きたいっていう欲も、あったってことなんだろう。

 

かつて、私にも夢があり、

そのために、コツコツと作っているものもあった。

 

苦難を乗り越えたら、全てが愛しい思い出になると、

いつかのその日のために、必死で金策に走ったこともあった。

 

そして、9年かけてその借金を返し終え、

その間に父を、完済の翌年に母を見送った時、

パンク寸前だった心が悲鳴を上げ、パニック障害を発症した。

 

家族のため、家庭のためにしたことが水の泡になったのは、

ちょうどその頃だった。。。

 

息子からすると、直近の母しか記憶になくて、

心も家も荒れ果て、弱い姿しか覚えてないのかもしれないけど、

その少し前までは、目に見えないところで家族を支える専業主婦だった。

 

お金を稼げず、大した業績も残せず、

社会に貢献できなかったかもしれないけど、

専業主婦だって立派な仕事で、卑下される存在ではない。

 

結果として、失敗したから、お金を失ったから、

今が最低で、息子曰く『底辺』だから、

その悔しさを、誰かや歴史を責めることでごまかしてるだけ。

 

本来の自分は、お金を持った時に知るだろうから、

これまで味わってきた思いは、決して忘れないでいてほしい。

 

私自身、ぜいたくができたのは母の遺産が入った数年で、

空虚を埋めるようにぜいたく品を買っては、自己嫌悪に陥った。

 

もちろん、生活レベルを上げられればうれしいし、

家電だって家具だって、家だって、快適な状態にはしたい。

 

貧乏のせいで値段で妥協してるものを、

好きなもの、欲しいもので選択できれば、それはそれで幸せだし、

楽しいだろうってことだって、想像するだけで理解できる。

 

だけど、だからといって、

ふつうのサラリーマンの給料をバカにしたりしないし、

父がそうだったように、定年までマジメに勤め終える人を、

尊敬はしても、努力不足だなんて思うはずもない。

 

そういう根本的な考えが、あまりにも離れていったら、

一緒に居ることは難しいと、とりあえずは、

次の引越までを約束し、その次はその時に考えるとだけ伝えた。

 

息子の凝り固まった考えは、私の母に似ている。

 

幼い頃、破産に追い込まれた経験がトラウマになり、

「人にバカにされる」「世間を見返す」が口癖になった。

 

自分がバカにするから、バカにされてると思い込んでいるだけで、

ちゃんと事情を話せば世間は優しいのに、それに気づかず一生を終えた。

 

でも、だからといって、その性格が悪いだけかというと、

人並み外れて辛抱強くて、堅実で、マジメで、

その粘り強さで、マンションも買い、みっともない借金もせず、

誰に迷惑をかけることもなく、静かに一生を終えた。

 

サラリーマンとして、堅実に生きた手本みたいな人だった。

 

だからね、

そんな母も含む専業主婦のことは、認めてほしいって思った。

 

なんだかんだで、会話だけはしっかりある息子と私。

 

ケンカはしても、お互いに暴力なんて振るったことないし、

引きこもり状態に陥っても、部屋にカギをかけたり、

食事を部屋の前に置くなんてことも、一度もなかった。

 

たとえ聞く耳は持ってなくても、

言うべきことは言い、しっかりと聞く耳を持つ。

 

そんな親子関係を築いてきただけに、イジメのことだけは、残念。

 

今になっていろいろ聞かせてくれるけど、残念なものは残念。。。