doziokan’s blog

息子に「マジメすぎてウザい」と言われるオカンちゃんです。波乱万丈すぎた過去のことと、今の思い、大好きな韓流ドラマのことも書きます。

目指すは家賃20万円のマンション!

イジメのことを告白した22日以降、息子は口数が増えている。

 

私は、一人の時間は相変わらず思い悩み、

勝手に涙が流れてしまう日々を送ってるけど、

息子にとっては、今に始まった問題ではなくて、

ずっと心にしまっていた過去の話。

 

そんな風に楽に考えれば、心の傷はすでに癒えて、

2010年以降の家庭内での出来事の方が、大問題。

 

私たちの長い長い夫婦喧嘩が、怒鳴り声が、

息子を傷めていたのかと思うと、自分を責めずにはいられない。

 

そんな思いもあって、何事に於いても反省をしない、

今でも平気で足繁く通ってくる元旦那にも、この問題は共有してもらった。

 

だからといって、何を考えてるかも知らないし、

何を言ってくれたわけでもないものの、

私たち親子に影響を与えていること、心の問題として残っていること、

忘れるべきではないし、それ以上にあるのが、元旦那こそ病気だということ。

 

結局は、元凶は、彼の人間性であることを知るべきだと思い、

そんな思いは奥底にしまい込み、出来事だけどメールで伝えた。

 

「一緒に居た頃の話だから…」と前置きをし、

できる限りの短文で、今の様子は思いは封印してのメール。

 

それがどの程度伝わったかはわからないものの、

あくる日、珍しく短文の雑談が送られてきたから、更に短文で返信。

ちょっとは思うところがあったのかなと、いいように解釈している。

 

そんなこんなで、息子とは、ケンカやら話し合いやらが続いているわけで、

親としても、昔のことをふまえた上で、言うべきことは言わねばならず、

言葉だけではなく、昔からの思いも含め、説明する努力を続けている。

 

元々、自分の思いがうまく言えず、心にためがちで、

言おうとすると涙になるのが悔しくて、なおさら素直になれず。

 

そんな私の欠点が、息子に受け継がれているのを知ったからこそ、

あの頃も、これまでも、今も、母としてだけは一生懸命であると伝えたい。

 

叱咤激励も苦言も、息子を思えばこそだと、ちゃんと理解してほしい。

 

苦しかった頃は、生きるのが必死で、

わかってもらえないことも悲しかっただろうけど、

隠そうとする気持ちが強いほど、相手に伝わるはずはないこと、

私自身も、同じように夫婦の問題を隠してきたから、わかるはず。

 

少しずつ会話を続ける中、彼の夢はどんどん膨らみ、

次の引越は、収入がいくらで、それが何カ月続いたら引越。

なんてことも、具体的に考えるようになってきた。

 

家賃については、3LDKで20万円。

一部屋は倉庫にして、2部屋はそれぞれの部屋。

『楽器OK』など、防音設備が整ったところを希望している。

 

私はてっきり、ここの倍くらいのところへ一度目、

その倍に2度目の引越をすると思っていたので、

年令のこともあり、「無理!」となったけど、

やる気を出し、成功を収めるなら、その姿も見たいので、

息子の思いを汲み、同行し、協力することも決心した。

 

あれほどの残酷なイジメに耐え抜いた息子。

 

その強さと経験は、今後の人生に生かされることだろう。

 

大きく変わっていくことを願いながら、母として見守っていきたい。

数々の挫折を経て生まれた夢

まだ形にはなってないから、今は妄想に過ぎないけど、

息子は「無気力で何もしないよりはいいでしょう」と、

夢を持てたこと、まだ若いことを、これでもかと力説する。

 

確かに、死を匂わせるより、死に急がれるより、

喜ばしいことではあるけど、その方向性たるや、

平凡やあたりまえをゆうに超え、夢のまた夢の妄想。

 

もし、万が一にも叶えることができるなら、

私にも、息子を産んだ意味があったと言えるし、

息子にとっても、誇れることができて、

イジメや挫折で失った、自信を取り戻せることにもなる。

 

自分の存在意義を、

まずは生活に不安なく生きることで取り戻せるなら、

それはそれで、はじめの一歩として、ふさわしいかもしれない。

 

そんな思いはあるものの、

私は私で、女や主婦としてだけではなく、

母としての自信を失ってしまったことは、あまりにも大きなことで。

 

成功者となるかもしれない息子のそばに居ること、

老いや病で負担をかけるかも知れないことを思うと、

何としてでも一緒に居るという考えを持てずにいる。

 

自分が率先して動くべき時には、決して思わなかったこと。

 

それが、湯水のようにあふれ出して、自分を包むこむ。

 

自分の精一杯がぜんぜん足りてなくて、

息子には真意さえ伝わってなくて、

記憶の中の出来事は、どれも捻じ曲げられていて、

そんな事実を知ってもなお、強く、平然と暮らせるのか。

 

だからといって、自分自身が一人になること、

何もしてこなかった息子を一人にすることも、不安が大きくて、

一人立ちの時期を間違えると、双方ともに負担が大きいんだと思い知った。

 

息子は、時に強い言葉で、「一緒に来い!」とも言い、

決して一人で出ようとしてるわけではない。

 

私の方が、状況も家も変わっていくことに、

今後はついて行けなくなることを、起こる前から憂慮してるのだ。

 

起こってから考えればいいというのん気な考えは、

若い時だから持てることで、私には時間がないのだ。

 

もし、息子が大成するとしても、

何をどうやって成しえたかで、私の思いも変わってしまうのだ。

 

ただ一緒に居て、お金さえあればいいとか、

別に生きて、お金さえ送ればいいとか、そういう問題ではなくて、

過去の出来事も含め、心から納得し満たされなければ意味がないのだ。

 

今は、これまでとは真逆ともいえる、妄想の中で有頂天になって、

あれもやりたい、これもやりたいと、夢は膨らむばかり。

 

それを一つ一つ叶えて行けるとして、そこに私の存在はあるんだろうか。

 

ちゃんと、母として、必要とされて生きていけるんだろうか。

 

私の息子として生まれたことが、成功の一助になるんだろうか。

 

悶々とした思いが今日も晴れなくて、

夢の中では、ヘビが現れ、久々にうなり声をあげた夜だった。

 

救いは、ヘビの夢が縁起がいいと聞くこと。

息子の夢が現実となる前兆なら、毎晩うなされても耐えられる。

 

私は、娘より、妻より、何より母であることを優先して生きてきたから。

イジメを受けた過去を持つ息子との絆

5日前、20年ほど前のイジメの話を聞いた。

 

これまでにも、何度となく、生活面での指摘をし、

そのたびに何度も味わってきた、答えが出ないもどかしさ。

 

親としては、挫折以外、痛みを知らない息子が、

どうしてこんなにも無気力で、

訳の分からない発言や、時々遠い目をするのか。

 

私のためとは言わないまでも、

自分自身の今や未来のために、

どうして、人ができるあたりまえができないんだろう。

 

ふつうに働き、ふつうに生きるってことの偉大さを、

私の父も、旦那も、実の父親にさえできているのにと、

叱咤激励の思いを込めて、あえて強く言うこともあった。

 

そのたびに、息子は口を閉ざし、

働くこと以外は、まるでふつうに、暮らしては来たものの、

いろんな苦痛も続いたことから、心が晴れるということはなかった。

 

食欲はふつうにあり、会話だってちゃんとできて、

ニュースを見ての感想だって、思いやりがある正当なもの。

 

なのに、夜はちゃんと寝ないし、

カーテンを開けることを異様に嫌うし、

もちろん、明るさに弱い目だとはわかっていても、

「向こうの人が見てる」だなんて、そんな考えは私には理解不能

 

でも、今にして思えば、あの時の恐怖心も、

人の目を気にすることにつながっているとわかり、

見知らぬ他人に自分を見られたくないっていう思いもわかり、

外に出れば、どこに敵がいるかわからないと、身構える気持ちもわかる。

 

だから、異様に疲れるってことも、

イジメのことを知れば理解できるけど、

これまでは、ただの神経質だと受け入れるしかなかった。

 

大まかなところもあり、お笑い好きな明るい面も大いにあり、

大雑把で、細かなところは気にならない面を持ちつつも、

妙に繊細で、小さなことをこだわっていたり。。。

 

もちろん、全てがイジメのせいではないとしても、

イジメが与えた影響もあるとわかり、ある意味、合点がいった。

 

そして、不自由とも言える面倒くさい自分をどう生きるか。

 

どん底だった時に自問自答して出した答えが、

体を鍛えることと、家でできることで収入を得ること。

 

その思いは、2016年3月10日から続いていて、

努力は形として実っていて、妄想はさらに大きくなっていった。

 

息子曰く、私には「ノセてほしい」とのこと。

 

誉めておだてて調子に乗らせてほしいそうだけど、

親という仕事は、ふつうや平凡や常識の尊さを教えること。

 

貧乏であるゆえに、諍いも多々あるけど、

感情任せに出た言葉は「その時限り」って弁解(?)も聞けて、

昨日は泣かずに話し合いもできて、少しずつ心のモヤも晴れ。

 

「ここまで一緒に居たら、ずっと一緒に居るでしょう」って言う、

息子の言葉や思いもすべて、信じてみようかなと、思ってみたり。

 

私にぜいたくをさせたいっていう思いもあると知り、

まして、あのイジメの時、空中に向かって殴る練習をしたら、

思いのほか強くて、相手を殺してしまうと思い断念し、

心も体も弱い母には言えないと、一人で乗り越えた強さも含め。

 

離婚後の騒動の時にずいぶんと助けられてきたから、

息子がやろうとしてることのサポートに、命を捧げる決意をした。

 

その間、もっと楽に生きていくために、

心の傷も癒していかなくてはいけないし、

必要なら、心療内科の先生にも頼りながら、改善を図りたい。

 

息子が言うように、今の状況が傷口をあらわにしたなら、

努力が実を結ぶことで、カサフタもはがれていくだろうし、

いつか奥さんをもらい親になれば、家族のために強くもなれるだろう。

 

その素質はじゅうぶんにある子だから、信じて時を待つことにしよう。

 

それにしても、

クラスで5人、中でも3人は、ひどいイジメっ子だったとか。

 

男同士は、ケンカではなく殴り合いをしたり、

その中で、痩せっぽちながら強かった息子が、なぜターゲットにされたのか。

 

 

男兄弟が居ない私には、男の世界は理解できない。

同級生へのイジメの傍観者

中学校時代、息子はたくさんの友人を家に招いた。

 

その友人たちはどの子も良い子で、

私もできる限り接するようにし、

顔を見て安心したら、買い物などに出かけ自由に遊ばせた。

 

中学生になったとはいえ、一人で家に置くのは気が引けたから、

友達といることで、そういう思いもなく外出することができた。

 

とはいえ、私が当時の旦那を伴い外出するのは、

買い物や喫茶店に行く1時間前後のことで、

登校時や帰宅時は、必ず家に居るようにしたし、

無理な場合はメモを残すなど、不安を与えない配慮もした。

 

幼い頃に離婚をし、辛く不安な思いをさせたからこそ、

一緒に過ごす時間を大切にし、心が通う仲良しな親子であると、

あの頃はすっかり思い込んで、息子との日々を過ごしていた。

 

登校してすぐの帰宅が続いた時は、

体のどこが悪いんだろうって、心配もしたし思い悩み、

息子のことは、ちゃんと気にかけてる、つもりだった。

 

年令的に、裸を見る機会はなくても、

顔色を伺うってことは、できたはずなのに、

息子からしたら、なんて役に立たない母親だっただろう。

 

本人は、「カッコ悪いから」と説明するけど、

イジメられる側の何がカッコ悪いか、私にはわからない。

 

繰り返し繰り返し、言葉で、こぶしで暴力を振るわれて、

最初は反発し、次第にそれをやめ、耐え抜いた息子。

 

そして、頑ななまでに、自分を守れるのは自分しかなく、

私がすることはことごとく失敗ばかりで、

よくよく考えたら大したこともなく、向上心がない人間。

 

そんな結果となった。

 

自分は、いろんな奴らを見返すためにも、

お金を稼ぐことが最善なんだと、偏った考えを持つようになった。

 

弱い自分、大したことない自分を奮い立たせ、

今の悩みや病的な思考も、全てお金が解決すると、思いこんだ。

 

この3年余り、確かに何もしなかったわけではない。

 

いろいろ悩み、考え、調べ、努力もした上での新しい道の選択。

 

結論を急ぎ、逃げるしかなかった母を見てきたからこそ、

失敗をしたくないからと、準備期間に時間をかけようとする気持ち。

 

死という形で逃げるところから思えば、

生き抜くという方向への転換で、喜ばしいこと。。。

 

そう思えたらいいのに、信じることも応援することもできず、

失敗した時の心ばかりを心配してしまう私。

 

一度だけ遊びに来た良さそうに見える子が、

イジメの場に遭遇しても傍観者だったことを知った。

 

「アイツはダメだ」とため息交じりに言った息子にとっては、

もしかしたら、母親のことも傍観者に見えたんだろうか。

 

あまりにも古く、根深い話で、何をどう解決できるのか、

かいもく見当がつかず、久しぶりに寝苦しい夜だった。

 

その上、住民の中に、「うるさい!」と怒鳴る人がいて、

もしかしたら室外機のことかと思うと、ウチなのかと不安にもなる。

 

もし怒鳴り込んできたら、息子がキレたら、

いろんなことを思うと、今の状態のままで、いいはずはない。

 

今日は、無事に家賃を振り込み、

昼からはお米などの荷物が届き、その後、どんな空気で過ごせるか。

 

「7~8年前まではのん気に過ごしてた」との言葉を思うと、

母の死や、私の障害や、夫婦喧嘩など、

挫折に至るすべてが原因である可能性が高く、

お金への不安も、最もと言っていい、大きなストレス。

 

お金がなければ生きていけないという苦境に立ち、

一度は「死んでやる!」という弱い自分が出たけど、

「お金を稼ぐ!」と変換できたのは、息子が強いから?

 

昔、イジメに耐えたように、乗り越えようとしてるなら、

息子が言うように、そこに乗っかればいい、単純なことなのかな。

 

私は、とんでもなくクソマジメで、マイナス思考で、

何かを始めるってことには、消極的で、冒険を好まない。

 

主婦であることで満足し、家族の幸せを重んじ、

私という個には、何も残らなかった。

 

息子は、それが悔しくて、

私も同じくらい、息子と同じ考えになってほしくて、

大きな夢を持ち、もっともっと最大限、輝いてほしいと願う。

 

年令や体力低下を憂うなら、筋トレするなど、頑張ればいいと、

息子は息子で、私がイキイキ生きられるように、助言もしてくれる。

 

でも、私にとっては、自分より息子。

息子が一人でも生きられるように、それを見守るのが最後の務め。

 

ついつい、自分を棚に上げ、言わなくてもいいことを言ってしまい、

息子のやる気をそぎ、スタートを遅れさせてしまう。。。

 

思えばこそなんだけどね、今の息子には伝わらないんだろう。

 

息子が1歩を進み、何かしらの結果が出たら、

息子の気持ちだけでなく、私の気持ちも変わるんだろう。

 

昔のことについても、詫びるところは詫び、

誤解は解き、知るってことで、少しずつ関係修復できるならいい。

 

ただ、もう無理はできない、お互いに限界に近い状態だから、

傷つけあうだけで役にも立たないなら、一緒に居るってことも難しい。

 

この年で、こんな形で一人になるのは、惨めで不本意だけど、

息子が元気で明るく生きていけるなら、私なんて死んだってかまわない。

 

息子がよく言う、来世なんてものも、もうなくてもいいから、

私が得られたかもしれない幸せを、すべて息子が手に入れてくれていい。

 

こんなにも人生に裏切られると、さすがにしんどくて、

今は、心ここに非ずって感じで、パソコンの前に居座るしかない。

 

こういう時、会いたい人も話せる人もいなくて、

いつだって、こうやって、書くことで思いを吐き出すしかない。

 

息子も、同じように孤独を感じてるんだろうって思うと、切なくなる。

孤独を思い知る息子との話し合い

2013年7月、決定的な出来事があり、結婚生活が破たんした。

 

もう旦那とは暮らせない。。。

 

見つけたものを手に息子の部屋に入った私は、

母としてのプライドをかなぐり捨て、「ママを助けて」と泣いた。

 

そして、話し合いののち、家を出ることになったものの、

息子の未来を思っての開業は失敗に終わり、

地獄の元我が家に舞い戻り、以前よりもっと地獄の生活。

 

彼の妻としての権利をすべて捨て、離婚に至った。

 

そんなひどすぎる生活の中、息子に対する違和感や、

私への風向きというか、温度差を感じることが度々あって、

死を匂わせるような投げやりな言葉にも、恐怖を感じたり。

 

人生に失敗した私をも、まるで加害者を見るかのような、

得体の知れない冷ややかなものを感じるようになり。。。

 

もちろんそれは、今がどん底だから、

そうなった一端は私にもある、自分以上にあるという怒り。

それもあるんだろうけど、だとしてもあまりにもひどく長い反発に、

体だけは一緒に居るけど、心がつながってない淋しさを感じるようになり、

未来を憂う気持ちから、親としての発言を何度かするものの却下。。。

 

すべては、息子自身のより良き未来のため、そのつもりでも、

受け取る側が拒否すれば、まったく通じることはないわけで、

何でもない会話の中でも、言いしれない目線や空気を感じるようになった。

 

イジメのことを知ったことで、ある意味、原点がそこにあることを知った。

 

分かってもらえなかったという悲しい思いが、息子をそうさせ、

今、私は私で、気付いてやれなかったことを悔い、

心の片隅では、それ以上に、話してもらえなかったことを悲しく思う。

 

あんなにも会話が多く、あんなにも愛してきても、

大きなトラウマが、キレイな歴史さえなかったことにしてしまう。

 

もちろんそれは、『今』のせいもあるとはわかってはいるけど、

息子自身も、「お金がないから」だと説明はするものの、

息子だけはちゃんと愛してきた自負があったから、

それが伝わってなかったことが辛くて、悲しくて。。。

 

いろんな形で心に影響してるんだと知っても、どうすることもできない。

 

いつか、限界が来たら逝ってしまうんじゃないかと、ただ怯えるだけ。。。

 

どんなに苦しかったことも、乗り越えれば思い出に変わるから、

だからこそ、一緒に頑張っていこうって、そんな思いだったのに、

そのスタート地点にすら立ってなくて、ましてその思いすらないかもしれない。

 

確かに、復活に向けて、2年3ヶ月、ある努力は続けていて、

お金を稼ぐための準備は始めたものの、

心を置き去りに何かを始めて、本人が言うように解決できるのか。

 

息子さえ立ち直れれば、私の幸せなんて望まないけど、

息子の未来を明るくするためには、今、何をするべきなのか。

 

私自身が心療内科に通院することで、糸口が見つかるなら、

重い腰を上げて、まずは母から、手本にならなくては。

 

息子が言うように、今さら目標を掲げ、夢を持つこともできないけど、

息子の夢を見守ることなら、私にもできる。

 

そして、その夢が潰えた時には、

別の夢、平凡な道を歩くことも素敵だと、話すこともできる。

 

廃業という挫折を味わい、

人への不信感をますます募らせることになったのも、

根っこには、イジメに遭った悔しさもあるんだと知った。

 

それがコンプレックスではなく、バネやきっかけになるなら、

お店で培ったノウハウも生かせるし、失敗も意味があることに変えられる。

 

それは、息子自身も語っていたから、

全ての日々がムダにならないよう、頑張ってほしい。

 

私は私で、しばらくは心を整える期間。

これまでと同じように、自分と向き合い、分析し、改善する。

 

生活や心が改善すれば、古傷だって痛まなくなる。

 

そうなるように、いたらない母でも、そこには愛があったんだと伝えたい。

息子がイジメに遭っていたと告白

おとといの夜、どういうきっかけかは忘れてしまったけど、

中学1年生の頃、ひどいイジメに遭っていたことを聞いた。

 

その期間や、程度も含め、

気にはなるものの、自分の体力面を考慮し、

続きは明日ということで、早々に話を切り上げた。

 

もし、今イジメられているなら、

すぐにでも事情を知り、学校へも行きたいところだけど、

幸い、今ではなく、20年近く昔の話。

 

自分の中では『過去の話』と割り切ることはできないものの、

何ごとに於いても、健康を害すことが多い、精神面が弱い母。

 

息子には、取り残された感はあるかもしれないけど、

心を落ち着けて、いつも通りの時間に布団に入った。

 

そして迎えた昨日の朝。

目覚めてすぐに襲ってきたのは、ひどく悲しく辛い気持ち。

 

何をする気にもなれず、息子が起きるまでの数時間、

パソコンやテレビの前に座り、ただ悶々と時間が過ぎるのを待った。

 

気づいてやれなかった不甲斐なさや申し訳なさ。

体調面では神経質なくらいに心配をしてきたのに、

確かにあの頃、登校してすぐに帰宅するという、

自分の中でもザワザワと嫌な感じは続いていたのに、

まさかウチの子に限ってと、イジメを疑いもしなかった。

 

イジメる側にも、イジメられる側にも、

ウチの子は属さない人間だと思い込んでいたこと。

 

今さらだけど、あの頃の私をぶん殴ってやりたい。。。

 

繰り返し繰り返し、見た目にはわからないように、

複数で暴力をふるい、時には呼び出されることもあり、

その事実は担任にも伝え、理解されていたというのに、

その話は、息子からも担任からも聞かされない。

 

息子は、男としてのプライドがあったと言うけど、

私としたら、たった一度の暴力だって、絶対に許せないこと。

 

それを黙認した担任に対しても、怒りを抑えられないし、

ターゲットをとっかえひっかえいじめを続けた同級生にも、

見て見ぬふりをした情けない奴らにも怒りを覚えるし、

「やめろ」と言ってくれた優しい子に対しては、心からお礼を言いたい。

 

全てが敵ではなかったこと、

2年生の時のクラス替えでは、その連中と離れたこと、

子供なりの防御策として、実力者のそばに居たこともあって、

相手を殺すことも、自分の命を消すこともなく、無事に生きられた。

 

息子の強さ、私を思う愛に、感動すると同時に、

壁のない家庭をとの思いが、まったく伝わってなかったことに、

どうしようもなく悲しく、空虚な思いが私を包み、

自分の存在が無意味に思えて、イジメを知る前の私に戻れない。

 

本人としては、アザのこと、夢遊病のような症状など、

異変に気付くサインらしきものは、あったはずという気持ちもあり、

それは、私への不信感につながっているのかもしれない。

 

私自身が、旦那との一大事を20年以上も隠していたから、

心の中で溜め込み、自分で処理しようとするのも、私に似ているから。

 

この年になって、似なくてもいい面がソックリだったことを知り、

だからこそ、責任の一端を痛感せずにはいられなくなった。

 

イジメの報道があると、いつも言っていたのが、

「引越だって転校だってできるし、

   イザとなったら学校なんてやめればいい」ってこと。

 

それだけは声を大に言ってきたのに、

本人は全く覚えてなくて、20年余りも過ぎての告白。

 

きっと、あの時の痛みは心が覚えていて、

その強さより、辛さの方が傷となって残っていて、

息子の性格や思考面でも、影を落ちしてるんだとわかると、

母としての叱咤激励でさえも、心を閉ざす原因になったかも知れない。

 

2013年からの、苦痛に満ちた年月を経て、

まるで膿を出すみたいに、過去の経験があらわになり、

理解できなかった言動も、妙に納得できるようになった。

 

イジメの原因は様々で、弱い子がそうなるとは限らない。

 

息子の場合は、痩せっぽちながら力があって、

誰と闘っても、クラスの中では負け知らずで、

顔の人気投票をすれば、クラスでナンバー1になったり。

 

だからこそ、殴られても平気なフリをし、泣くこともなく、

口が達者で、引くってこともしないガンコな性分。

 

外見的な部分では、天然パーマをいじられたこともあるらしいけど、

それはちっぽけなきっかけで、ほんの短期間で終わった。

 

他には、ゲームやエロビデオを貸してくれないとか、

家には信用できる友達しか呼ばなくて、

それも面白くなかったみたいで、

息子としては、弱い母だから、守っていてくれてて、

不安に思うことは、家には持ち込まなかった。そういうことなんだろう。

 

昨日は、起きて来るなり、元旦那より誰より大きくなった、

息子をしっかり抱き締めて、「ごめんね」と言って謝った。

 

そのとたん、前日の夜には出なかった涙があふれて、

「昨日は平然としてたのに・・・」と息子に笑われた。

 

どんなに愛しても、相手に伝わらなかったら愛じゃない。

 

相手の心や魂を救えなかったら、そんな愛なんてゴミクズだ。

 

息子が生きていてくれたからこそ、

いつか、「あの頃よりも幸せ」と思える日が来るかもしれないし、

数多くの痛みを知ってるからこそ、細心の注意を払える親にもなれる。

 

まだまだ問題は山積みだけど、未来は明るいと信じて生きよう。

元カレの夢に懐かしさを隠せない

元旦那と出会う前、愛してやまない彼がいた。

 

外見は決してタイプじゃないのに、

会うたびに心の距離が近くなり、

告白をされた日のキスで、年甲斐もなく恋に落ちた。

 

好かれていたはずが、好きになり、

みっともないほど夢中になって、恋い焦がれた日々。

 

彼は、私がセックスの虜になったかのように感じていたけど、

その心地良さも含め、別れてからもずっと、誰より愛してる人だった。

 

そんな思いを誰より知っていたのが、別れた直後に出会った旦那。

 

あの頃は、傷を癒すみたいに愛してくれてるように見えたけど、

実際は、無意識のうちに、結婚の不自由さから逃げていたのかもしれない。

 

好きな人がいる私なら、自由に恋愛を楽しめると思ったのか、

サッサと結婚をやめ、私たちのもとに逃げ込み、私は自由を奪われた。

 

今にして思えば、私が淋しさに負けたせいでもあり、

簡単に信じたり受け入れてしまったことも罪、若気の至りだったのかも。

 

別れて数十年経っても、夢の中でさえ好きな人で、

手をつないだだけで安らぎ、幸せな気持ちになった。

 

なのに、顔も違うし、手の感触も違ってること、

夢の中でもわかっていて、違和感でたまらない。

 

幸せと違和感が交互に押し寄せて、なんとも不思議な夢だった。

 

顔はともかく、手の厚みや体温、その触り心地まで、

今でもハッキリ覚えてることが不思議でたまらない。

 

抱き合うだけで、デートらしいデートもしたことがないのに、

私の中で彼は、紛れもなく大好きな人で、もう二度と出会えない最愛の人。

 

元旦那とのセックスが最悪だっただけに、

あの声や反応や、無邪気な笑顔が愛しくて、思い出すだけでキュンとなる。

 

会いたいな、とか、

話したいな、とか、

手紙を書きたいな、とか、

誰かを恋しがる時は、誰かではなく、必ず彼だった。

 

大親友でもあり、父でもあり、弟でもあり、夫でもあった愛する人

 

あなたと一緒に、お店を守りたかった。。。