doziokan’s blog

息子に「マジメすぎてウザい」と言われるオカンちゃんです。波乱万丈すぎた過去のことと、今の思い、大好きな韓流ドラマのことも書きます。

息子がイジメに遭っていたと告白

おとといの夜、どういうきっかけかは忘れてしまったけど、

中学1年生の頃、ひどいイジメに遭っていたことを聞いた。

 

その期間や、程度も含め、

気にはなるものの、自分の体力面を考慮し、

続きは明日ということで、早々に話を切り上げた。

 

もし、今イジメられているなら、

すぐにでも事情を知り、学校へも行きたいところだけど、

幸い、今ではなく、20年近く昔の話。

 

自分の中では『過去の話』と割り切ることはできないものの、

何ごとに於いても、健康を害すことが多い、精神面が弱い母。

 

息子には、取り残された感はあるかもしれないけど、

心を落ち着けて、いつも通りの時間に布団に入った。

 

そして迎えた昨日の朝。

目覚めてすぐに襲ってきたのは、ひどく悲しく辛い気持ち。

 

何をする気にもなれず、息子が起きるまでの数時間、

パソコンやテレビの前に座り、ただ悶々と時間が過ぎるのを待った。

 

気づいてやれなかった不甲斐なさや申し訳なさ。

体調面では神経質なくらいに心配をしてきたのに、

確かにあの頃、登校してすぐに帰宅するという、

自分の中でもザワザワと嫌な感じは続いていたのに、

まさかウチの子に限ってと、イジメを疑いもしなかった。

 

イジメる側にも、イジメられる側にも、

ウチの子は属さない人間だと思い込んでいたこと。

 

今さらだけど、あの頃の私をぶん殴ってやりたい。。。

 

繰り返し繰り返し、見た目にはわからないように、

複数で暴力をふるい、時には呼び出されることもあり、

その事実は担任にも伝え、理解されていたというのに、

その話は、息子からも担任からも聞かされない。

 

息子は、男としてのプライドがあったと言うけど、

私としたら、たった一度の暴力だって、絶対に許せないこと。

 

それを黙認した担任に対しても、怒りを抑えられないし、

ターゲットをとっかえひっかえいじめを続けた同級生にも、

見て見ぬふりをした情けない奴らにも怒りを覚えるし、

「やめろ」と言ってくれた優しい子に対しては、心からお礼を言いたい。

 

全てが敵ではなかったこと、

2年生の時のクラス替えでは、その連中と離れたこと、

子供なりの防御策として、実力者のそばに居たこともあって、

相手を殺すことも、自分の命を消すこともなく、無事に生きられた。

 

息子の強さ、私を思う愛に、感動すると同時に、

壁のない家庭をとの思いが、まったく伝わってなかったことに、

どうしようもなく悲しく、空虚な思いが私を包み、

自分の存在が無意味に思えて、イジメを知る前の私に戻れない。

 

本人としては、アザのこと、夢遊病のような症状など、

異変に気付くサインらしきものは、あったはずという気持ちもあり、

それは、私への不信感につながっているのかもしれない。

 

私自身が、旦那との一大事を20年以上も隠していたから、

心の中で溜め込み、自分で処理しようとするのも、私に似ているから。

 

この年になって、似なくてもいい面がソックリだったことを知り、

だからこそ、責任の一端を痛感せずにはいられなくなった。

 

イジメの報道があると、いつも言っていたのが、

「引越だって転校だってできるし、

   イザとなったら学校なんてやめればいい」ってこと。

 

それだけは声を大に言ってきたのに、

本人は全く覚えてなくて、20年余りも過ぎての告白。

 

きっと、あの時の痛みは心が覚えていて、

その強さより、辛さの方が傷となって残っていて、

息子の性格や思考面でも、影を落ちしてるんだとわかると、

母としての叱咤激励でさえも、心を閉ざす原因になったかも知れない。

 

2013年からの、苦痛に満ちた年月を経て、

まるで膿を出すみたいに、過去の経験があらわになり、

理解できなかった言動も、妙に納得できるようになった。

 

イジメの原因は様々で、弱い子がそうなるとは限らない。

 

息子の場合は、痩せっぽちながら力があって、

誰と闘っても、クラスの中では負け知らずで、

顔の人気投票をすれば、クラスでナンバー1になったり。

 

だからこそ、殴られても平気なフリをし、泣くこともなく、

口が達者で、引くってこともしないガンコな性分。

 

外見的な部分では、天然パーマをいじられたこともあるらしいけど、

それはちっぽけなきっかけで、ほんの短期間で終わった。

 

他には、ゲームやエロビデオを貸してくれないとか、

家には信用できる友達しか呼ばなくて、

それも面白くなかったみたいで、

息子としては、弱い母だから、守っていてくれてて、

不安に思うことは、家には持ち込まなかった。そういうことなんだろう。

 

昨日は、起きて来るなり、元旦那より誰より大きくなった、

息子をしっかり抱き締めて、「ごめんね」と言って謝った。

 

そのとたん、前日の夜には出なかった涙があふれて、

「昨日は平然としてたのに・・・」と息子に笑われた。

 

どんなに愛しても、相手に伝わらなかったら愛じゃない。

 

相手の心や魂を救えなかったら、そんな愛なんてゴミクズだ。

 

息子が生きていてくれたからこそ、

いつか、「あの頃よりも幸せ」と思える日が来るかもしれないし、

数多くの痛みを知ってるからこそ、細心の注意を払える親にもなれる。

 

まだまだ問題は山積みだけど、未来は明るいと信じて生きよう。