doziokan’s blog

息子に「マジメすぎてウザい」と言われるオカンちゃんです。波乱万丈すぎた過去のことと、今の思い、大好きな韓流ドラマのことも書きます。

数々の挫折を経て生まれた夢

まだ形にはなってないから、今は妄想に過ぎないけど、

息子は「無気力で何もしないよりはいいでしょう」と、

夢を持てたこと、まだ若いことを、これでもかと力説する。

 

確かに、死を匂わせるより、死に急がれるより、

喜ばしいことではあるけど、その方向性たるや、

平凡やあたりまえをゆうに超え、夢のまた夢の妄想。

 

もし、万が一にも叶えることができるなら、

私にも、息子を産んだ意味があったと言えるし、

息子にとっても、誇れることができて、

イジメや挫折で失った、自信を取り戻せることにもなる。

 

自分の存在意義を、

まずは生活に不安なく生きることで取り戻せるなら、

それはそれで、はじめの一歩として、ふさわしいかもしれない。

 

そんな思いはあるものの、

私は私で、女や主婦としてだけではなく、

母としての自信を失ってしまったことは、あまりにも大きなことで。

 

成功者となるかもしれない息子のそばに居ること、

老いや病で負担をかけるかも知れないことを思うと、

何としてでも一緒に居るという考えを持てずにいる。

 

自分が率先して動くべき時には、決して思わなかったこと。

 

それが、湯水のようにあふれ出して、自分を包むこむ。

 

自分の精一杯がぜんぜん足りてなくて、

息子には真意さえ伝わってなくて、

記憶の中の出来事は、どれも捻じ曲げられていて、

そんな事実を知ってもなお、強く、平然と暮らせるのか。

 

だからといって、自分自身が一人になること、

何もしてこなかった息子を一人にすることも、不安が大きくて、

一人立ちの時期を間違えると、双方ともに負担が大きいんだと思い知った。

 

息子は、時に強い言葉で、「一緒に来い!」とも言い、

決して一人で出ようとしてるわけではない。

 

私の方が、状況も家も変わっていくことに、

今後はついて行けなくなることを、起こる前から憂慮してるのだ。

 

起こってから考えればいいというのん気な考えは、

若い時だから持てることで、私には時間がないのだ。

 

もし、息子が大成するとしても、

何をどうやって成しえたかで、私の思いも変わってしまうのだ。

 

ただ一緒に居て、お金さえあればいいとか、

別に生きて、お金さえ送ればいいとか、そういう問題ではなくて、

過去の出来事も含め、心から納得し満たされなければ意味がないのだ。

 

今は、これまでとは真逆ともいえる、妄想の中で有頂天になって、

あれもやりたい、これもやりたいと、夢は膨らむばかり。

 

それを一つ一つ叶えて行けるとして、そこに私の存在はあるんだろうか。

 

ちゃんと、母として、必要とされて生きていけるんだろうか。

 

私の息子として生まれたことが、成功の一助になるんだろうか。

 

悶々とした思いが今日も晴れなくて、

夢の中では、ヘビが現れ、久々にうなり声をあげた夜だった。

 

救いは、ヘビの夢が縁起がいいと聞くこと。

息子の夢が現実となる前兆なら、毎晩うなされても耐えられる。

 

私は、娘より、妻より、何より母であることを優先して生きてきたから。