お金があったら叶えられること
息子の夢を聞いてからというもの、
次の引越への思いが溢れ、それが私の夢となった。
息子には「何のためのケンカだったのか」
と、約1週間をムダかのように言われてしまったけど、
これまでの言動の真意を知るために、意味があったこと。
時間を経て、そんな風にとらえられるようになった。
はたから見たら、
立派なマンションに住んでる恵まれた人に見えても、
実際には100%以上のローンを組み、支払いのために借金もした我が家。
元旦那は、給料が半減するのもかまわず、
勤務中に数時間も仮眠をとり、早朝の仕事に備える。
それが1年半以上続き、借金の完済は8年半以上も過ぎてから。
お金のことだけを考えても、借金地獄そのものだった。
そんな旦那に対して、愛情を感じ信頼を寄せられるはずもなく、
両親の闘病や、更年期や、息子の引きこもりも重なり、
こうして生きていられることが不思議なくらい、心は荒んでいた。
そして、2013年には、2度目の離婚を決心するわけだけど、
そんなこんなだったから、お金に恵まれたのは、
借金を完済できた2009年の冬以降のこと。
あくる年の母の死によって、
遺してくれたもののおかげでぜいたくを経験し、
その短い期間だけは、家族や自分が欲しいものを自由に買えた。
空虚を埋めるように、物を買い漁った年月。
心が幸せを感じるのはほんの一瞬で、
あっという間に訪れるのが、浪費に走ってしまう自分への自己嫌悪。
あの時期、お金はあったけど、決して幸せではなかった。
その後、夫婦関係が破たんし、開業のために家を出て、
約2年間は、お金が底をついたらという不安との戦いだった。
失敗して家に戻ってからは、お金がないだけではなく、
サイコパスな旦那のご機嫌を伺う、別の地獄が待っていた。
そんな地獄を2年耐え、やっとここにたどり着いて、
少しずつ落ち着きを取り戻した息子が出した答えが、お金を稼ぐこと。
私が思い描く平凡ではなく、それを越えたお金を持つ夢も、
2013年からの5年を、共に生きてきたからなんだろう。
よくよく考えてみたら、何を買うにも予算っていうものがあって、
欲しいものを欲しいだけ買えたわけではなかった。
今に感謝し、今に満足するようにコントロールしてただけで、
家電にしても、家具にしても、買えるもの、入るものに絞ってきた。
その枠を取っ払い、マンションや必需品を考えたら、
ガマンしてるもの、妥協してることの、多いこと、多いこと。。。
ベッドも欲しい。
食洗器も欲しい。
掃除機も変えたい。
冷蔵庫を大きくしたい。
などなどなど。
この家のスペースや生活レベルに合わせ、
当たり前のように、小さく、安くを心がけていたから、
もしそんな暮らしができるなら、人生の終盤、なんて幸せだろうって。
もちろん、お金が全てではないとわかった上で、
便利で快適に暮らせる喜びを味わいたい、そんな思いが膨らんできた。
想像するだけで終わるなら、それはただの妄想。
起業に失敗した経験を活かし、ノウハウは生かし、
どん底を知ったからこそ、平凡以上になりたいと望む。
トラウマは力に変えられるってことなのかな。