doziokan’s blog

息子に「マジメすぎてウザい」と言われるオカンちゃんです。波乱万丈すぎた過去のことと、今の思い、大好きな韓流ドラマのことも書きます。

母の芸名で知った好きな色

8年前に亡くなった母は、最期に自費でCDを作った。

 

そのいきさつは別の機会に書くとして、

まさかの芸名までつけていたとは、遺品を整理しながら驚かされた。

 

曲を作ったことは、ちょっと前に聞かされていて、

2曲の中の1曲は、私に似合うとまで言っていたのに、

母の同居人への不信感や反発もあり、聞くことはなかった。

 

その曲のお披露目をしたのは、母の葬儀の時。

2日かけて、2曲をエンドレスでかけてもらったので、

否が応でも覚えることとなり、それが、母とのお別れのイメージにもなった。

 

遺品を整理したら、大きな紙に書いた歌詞が出てきて、

なぜかそれは何枚もあり、中の1枚には原本とかかれていた。

 

世の中に広めるわけでもない覚書に、原本だなんて、

違和感を覚えながら作業を進めると、

母ではない人の文字で、少し歌詞が違う歌詞カードを発見。

 

原本の文字は、

自分が書いたものだと証明するために、私にあてて書いたのだと確信した。

 

そんな、母を死に追いやった同居者との話も、別の機会に書くとして、

知った当初は(なんで?)と、不思議でならなかった芸名が、

今にして思うと、(なるほどな)と納得できるようになって、

名字にも、故郷への忘れがたき思いが伝わり、なんともいじらしくて。

 

言葉と裏腹な母の孤独感や、愛されたいと願う悲壮感が、

今になると愛しくて、切なくて。。。

 

母と私は、表現方法は違えど、似た色の魂を持って生まれたんだと、

今さらながら思い知らされて、今もまだ、母を失った喪失感は癒えていない。

 

思い返せば、修学旅行できたスーツはライムグリーン、

オーディション用に縫ってくれたワンピは、グリーン地に大輪の花、

成人式用の着物は、白地にラメ入りのグリーンの花と、母の好きな色だらけ。

 

どんな時も私には選択権がなく、いい意味でも悪い意味でも、

選ぶのも、そのためにやりくりするのも、全てが母一人の考えによるもの。

 

晩年は、黒地に花柄が定番だっただけに、まさかグリーンが好きだったとは、

口数が多すぎる母だったのに、一度たりとも聞いたことはなかった。

 

心臓が弱く、だからこそ、哀愁たっぷりに聞こえる母の遺作。

私にと言ってくれてたけど、上手に唄える自信がなくてそのままになっている。

 

いつか、母の声のままでお披露目できたら、喜んでくれるかな。

 

私の声の方が、もっとうれしいかな。